MEISSENメモ(48):美術様式から見たマイセン磁器、「現代」のご紹介

1710年に設立し、300余年の歴史を有するマイセン。戦後、廃墟の中からも立ち上がり、1960年代に作られた「芸術の発展をめざすグループ」の5人のアーティスト達は、寝食を忘れて新しいデザインの開発に取り組みました。メンバーのハインツ・ヴェルナー教授、ルードヴィッヒ・ツェプナー(故人)、ペーター・シュトラング、フォルクマール・ブレッチュナイダー、ルディ・シュトレ(故人)の名は、伝説的な憧れと尊敬をもって語られています。彼らが高齢となった今、クリエイティヴの面では彼らの業績を受け継ぐ30~50代のアーティスト達に期待がかけられています。ホルスト・ブレッチュナイダー、アンドレアス・ヘルテン、グードルン・ガウベなどがあげられます

「芸術の発展をめざすグループ」の
5人のアーティスト達

*左から
ルードヴィッヒ・ツェプナー氏
マイセンの磁器工場で1948年から1952年まで造形を学び、優秀な成績で卒業後、更にベルリンのヴァイセンゼー美術専門学校で造形を勉強し、マイセン磁器工場に戻りました。数々の受賞作品のうちには、アラビアンナイト・サマーナイトが絵付されるグローサーアウスシュニットシリーズのフォームも彼の作品です。 
ペーター・シュトラング氏
1936年、ドレスデン生まれ。造形家シュトラングは、1950年から54年まで製作所で造形を学び、その優れた才能から、ドレスデン造型大学のアルノルト教授のもとでさらに研鑚を積みました。1960年に製作所に戻り、「芸術の発展をめざすグループ」の設立メンバーとなって活躍しました。彼の作品は、20世紀後半の磁器芸術全体に大きな影響を与えたといわれます。動と静、緊張と弛緩など、相対するものの一致をめざし、その優れた抽象と象徴のなかに、「シュトラング」という個性を強く感じさせています。
 
ルディ・シュトレ氏
彫刻師を父に持つシュトレ氏は、子供の頃から美術の分野を目指し、1934年から1938年までマイセンにてグラフィックデザインおよびリトグラフを学びながら絵付けも勉強しました。戦後、1947年にマイセンの磁器工場に就職し、花の柄を描きながらヴェルナー氏のデザイン制作に協力をしました。彼の作品の中で線の形を描いた物が多いのは、リトグラフを学んだからです。
 
ハインツ・ヴェルナー教授
1928年、マイセン近郊コスヴィヒ生まれ。1943年にマイセン製作所に入ったヴェルナーは、早くから動物や鳥の絵付で頭角をあらわし、すでに1953年には装飾家として認められています。1959年から62年までは、製作所の活動と平行して、ドレスデン造型大学で学びました。1959年に「芸術の発展をめざすグループ」の設立メンバーとなり、多くの全く新しい作品や、陶板画など磁器芸術に新境地をひらきました。「千夜一夜」「真夏の夜の夢」「狩り人シリーズ」「ブルーオーキッド」「アーモンドの樹」など、現代マイセンの代表作となったヴェルナーの作品は枚挙にいとまがありません。メルヘン、幻想、自然の光と影、夢、それらを生命の充溢の中に描いていきます。
 
フォルクマール・ブレッチュナイダー氏
1930年、マイセン生まれ。1944年、14歳でマイセン養成学校に入学。花と果物を専門に描く。伝統的な絵付方法を超え、皿やプラークからはみ出さんばかりのエネルギー溢れる花の絵を描き、衝撃を与えました。「芸術の発展をめざすグループ」には、1975年から加わり、花や果物だけでなく、ユニカート(1点もの)の制作にも熱中しました。女性の顔が花瓶に閉じ込められたように見える図柄など、独創的な手法なものが多いです。
 
ピエロ五体セット(5人のアーティスト)

ピエロ五体セット(5人のアーティスト)
20世紀後半に活躍したマイセンの5人のアーティストをペーター・シュトラング氏がユニークなミニチュア人形にしました。それぞれが得意な楽器を奏でている楽しい作品です。左から、ペーター・シュトラング(サクソフォン)、ハインツ・ヴェルナー(アコーディオン)、ルードヴィッヒ・ツェプナー(ヴァイオリン)、フォルクマール・ブレッチュナイダー(太鼓)、ルディ・シュトレ(ギター)。(商品番号:83500/83504/901300/5P、高さ:約10~13cm)
 
 
*現在、クリエイティヴの面で業績を受け継ぐアーティスト達
 
ホルスト・ブレッチュナイダー氏

ホルスト・ブレッチュナイダー氏
1952年、ヤーナに生まれる。1968年に10年間の義務教育を終了。1968年から1972年、 国立マイセン磁器製作所で磁器絵付師として修業を積みました。1972年、花と果物柄の絵付師として、養成学校を「優」で卒業。1972年~1978年、果物画の絵付師として活動。1979年、「芸術の発展をめざすグループ」のメンバーとなりました。1979年~1995年、数多くの絵画をもとに磁器プラークへの絵付を行い、また多くの特別制作を行いました。1985年、磁器による壁面装飾の構想・制作部門を担当し、ハインツ・ヴェルナー教授、フォルクマール・ブレッチュナイダーとともに活動しました。1986年から1996年、「エキゾチックな水辺の花」など、ルードヴィッヒ・ ツェプナー作のフォーム「グローサー・アウシュニット」にさまざまな絵付を行いました。
 
 
 
 
 
アンドレアス・ヘルテン氏

アンドレアス・ヘルテン氏
1967年、バルト海のそばのウィスマール生まれ。絵を描きたいという熱い思いにかられて国立マイセン磁器製作所の門をたたき、1984年から1988年まで花絵付を学ぶ。ハインツ・ヴェルナー教授のもとで研鑚を積み、同氏のデザインによる大きな作品の絵付を手掛けるうちに、自由な創作・絵付で頭角を現し、はやくも1989年から「芸術の発展をめざすグループ」に参加。チーフデザイナーであるヴェルナー教授の高弟としてその新しいデザインを共に企画。自由な創作を許す師匠の下で、プラークなど室内装飾的な作品を多く手掛けるようになりました。1989年、1990年と、ハイリゲンダムで専門教育を修了。以後、専門のデザイナーとしての道を歩む。最近では、マイセンの新しいサーヴィス・フォーム「波の戯れ」に「ユーゲント」や「青い花」、「ベゴニア」などの魅力的な絵付を発表しました。プラークや他のユニカートの制作にも意欲的です。アンドレアス・ヘルテン氏によるデザインやユニカートは、見本市や展覧会などで高い評価を得ています。
 
グードルン・ガウベ女史

グードルン・ガウベ女史
1961年、シュテンダール生まれ。1980年から1987年までハレのブルクギービッヒェンシュタインの工学デザイン大学で造形を学び、造形学士として卒業。ブダペストの工芸大学(1988)、ハレの大学(1988-1989)でさらに勉強した後、1990年に国立マイセン磁器製作所でフォーム・デザイン開発の仕事を始めました。彼女は伝統を保つこと、そしてモダンな作品を作ることを、その統一性を保ちながら実現させるように力を注いでいます。彼女は、マイセンのモダンを代表する作品の数々を作り出しています。幅広い基礎教育を積み、ハレの工業デザイン大学で助手を経験した彼女は、磁器という素材が持つ可能性の魅力に取りつかれ、幅広い作品を作り出すようになりました。彼女の作品には現代の磁器芸術がめざす方向性への一つの解釈があらわれています。

MEISSENメモ(47):美術様式から見たマイセン磁器、「アール・デコ」のご紹介

1710年の設立以来、時代ごとに新しい様式を取り入れてきたマイセン。その作品群は、約23万種類にのぼり「様式の宝庫」ともいわれています。今回は、「アール・デコ様式」を取り入れたマイセンの作品をご紹介します。「アール・デコ」は1910年代から30年代にかけて、フランスを中心にヨーロッパで流行した、幾何学的造形を取り入れた装飾様式です。マイセンでは大きな流れとはなりませんでしたが、マックス・エッサーの作品にアール・デコ様式の特徴がみられます。またこの頃、スイスやフランスの動物彫像の影響から、多くの動物彫像が生まれました。いずれも動物の姿態だけでなく、そこに宿る本性まで生き生きと表現しています。カワウソ、ウサギ、シカ、イヌ、シカなどがさまざまな動物が作られました。

彫像「エッサーによるヒョウ」

彫像「エッサーによるヒョウ」*世界限定50点*
力強く堂々としたヒョウの姿です。頭を僅かに傾け、見る人の視線を拒んでいるようです。この微妙なニュアンスで、造形家マックス・エッサー(1885-1945)は、ネコ科特有の近寄り難く、同時に気分屋の風情で横たわるこの動物を完璧に表現しました。エッサーの彫像はアール・デコ様式の磁器芸術の傑作とされています。エッサーはヨハン・ヨアヒム・ケンドラー(1706-1775)が創り上げたマイセン動物彫像の伝統を1920年代に更なる頂点へと導きました。偉大な動物彫塑家、アウグスト・ガウル(1840-1910)に学んだ後、エッサーは1919年にマイセン製作所に入り、1923年、マイスターのアトリエの指導者となって1924年には教授の称号を得ています。彼の時代の多くの造形家のように、彼は動物彫像を手がけ、もしかしたら動物彫像の自由さと気軽さのゆえに、伝統や倫理に縛られた人間描写よりも優れた作品を生み出しました。しかしそのエッサーのヒョウ「ルパルドゥス」もそこから自由だったわけではありません。エッサーはこのヒョウを1920年代、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749-1832)の叙事詩「ライネケ狐」をテーマにした一大セットの一部として制作しました。その中でヒョウの「ルパルドゥス」は王家の腹心であり、一員で、狐の陰謀を見抜けません。叙事詩の中では余り重要でない役どころです。しかし高価なサーヴィスセットの彫像群を可能にした独自の演出によって、エッサーのヒョウは傑出した彫像として見事に大役を果たしています。(品番:78321/900584、サイズ:高さ17cm)
白磁彫像「カワウソ」

白磁彫像「カワウソ」
原型は、1931年にマックス・エッサーがつくりました。本作品は1937年にベトガー炻器という素材でパリ万博に出展され、グランプリを受賞しました。カワウソの一瞬の動きを捉えた名作として今日では炻器と白磁の両方で作られています。(品番:78713/000000、サイズ:高さ24.5cm)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
白磁彫像「イタチ」

白磁彫像「イタチ」
原型は、1926年にマックス・エッサーが作りました。イタチの一瞬の動きを捉えた名作として作られています。(品番:78710/000000、サイズ:高さ25cm)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彫像「ウサギ」

彫像「ウサギ」
原型はマックス・エッサーによって作られました。装飾を極端なまでに排しながら、動物の本質を一瞬のうちに磁器の中に閉じ込めたとされる逸品です。(品番:78946/900500、サイズ:高さ12.5cm)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彫像「ヒョウ」

彫像「ヒョウ」
枝の上で虎視眈々と獲物を狙うヒョウは緊迫感に溢れ、細密に絵付されたその体は、ビロードのような毛並みまで表現しています。(品番:78934/900180、サイズ:縦18.5×横36×高さ28㎝)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彫像「ホッキョクグマ」

彫像「ホッキョクグマ」
アール・デコ期の動物彫像の中でも、真に迫った造形で知られる「白熊」像です。オリジナルはアール・デコの造形家、ヤールによって1903年頃に作られました。白熊の重量感と毛の質感まで感じられる名作です。(品番:78793/900100、サイズ:高さ23×横幅51cm)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
彫像「2匹のグレーハウンド」

彫像「2匹のグレーハウンド」
アール・デコ期の偉大なアーティスト、オットー・ピルツ(1870-1934)が1910年に原型を作り、20世紀のマイセン動物彫像の傑作とされている作品です。グレーハウンドのしなやかな肢体と2匹が相戯れる様子が躍動感をもって表現されています。18世紀にはじまったマイセンの動物彫像は、動物の姿形だけでなく、そこに宿る野生の魂まで描くことで知られていますが、その伝統が20世紀においても受け継がれていることがわかる逸品です。(品番:78701/900180、サイズ:高さ26cm)
 
 
 
 
 
 
 
彫像「鹿」

彫像「鹿」
アール・デコ期の優れた造形家、エーリッヒ・エーメが1938年に原型を作りました。硬質白磁が誕生する以前に生まれた赤茶色のベトガー炻器は、白磁が生まれるとすぐに作られなくなってしまいましたが、その優れた彫塑性から、アール・デコの時代に見直され、多くの優れた動物彫像が創作されて今日に至っています。本作品においても堂々とした牡鹿の姿が見事に表現されています。(品番:86157/000002、サイズ:高さ56cm)
 
 
 
 
 
 
 
*マイセンの製品は、全国主要百貨店 でお求めいただけます。

MEISSENメモ(46):美術様式から見たマイセン磁器、「アール・ヌーヴォー」のご紹介

1710年の設立以来、時代ごとに新しい様式を取り入れてきたマイセン。その作品群は、約23万種類にのぼり「様式の宝庫」ともいわれています。今回は、「アール・ヌーヴォー様式」を取り入れたマイセンの作品をご紹介します。「アール・ヌーヴォー」は19世紀末にヨーロッパで流行した様式で、曲線が特色。マイセンでは新しい美術様式取り入れるべく、他の分野で活躍している芸術家を招聘し、この様式の習得と発展に努めました。パウル・ショイリッヒが制作した置時計や人形、ユリウス・コンラート・ヘンチェルの真骨頂である人形「子供シリーズ」などがあげられます。
 
*パウル・ショイリッヒ(1883-1945)
パウル・ショイリッヒは、自由に制作するアーティストとしてマイセン磁器製作所で活躍しました。作品保管庫に保存されているショイリッヒの制作モデル「102」という数字は、この作家とマイセン製作所の実りの多いつながりを示すだけでなく、20世紀初頭のショイリッヒが最も創造的であった期間を表しています。彼の彫像は、芝居がかっていて、エロティックで非常に効果的です。作品の「扇を持つ婦人」、「誘拐婦人と鹿」、「アマゾーネとキューピット」、そして「落馬する婦人」は、1937年のパリ万国博覧会でグランプリを受賞しました。磁器という素材を熟知し、内側から溢れるような力とダイナミックな表情をその彫像に与えたことが、ショイリッヒの真骨頂といえるでしょう。
*ユリウス・コンラート・ヘンチェル(1872-1907)
造形家。この時代の芸術家の中にはすでに他で名を成して、マイセンによばれた人が多くいましたが、ヘンチェルはマイセンに生まれ、マイセンの養成所で学んだ生粋のマイセン人。最も有名なのは子供シリーズです。子供のあらゆる姿、表情、しぐさの一つひとつを生き生きと的確にとらえ独自のスタイルを確立しました。愛らしく現代の服を着た天使のような子供たちは本当に見る人を元気づけます。当時すでに200年の伝統を持ち、クラシックな磁器を作り続けていたマイセン製作所に、文字どおり若々しい新風を吹き込んだと言える作品です。当時のマイセン新聞はこう伝えています-「マイセン磁器製作所は、現代の小像の分野において、特に人間描写の点で最も大きな、そして重要な貢献を果たしている。」

人形「身支度をする女性と天使」

人形「身支度をする女性と天使」
マイセンにアール・ヌーヴォー様式の人形を数多くもたらしたパウル・ショイリッヒが、が1923年頃に原型を作った作品です。靴下留めを結んでいる女性と、それを覗き込んでいるキューピット。ユーモラスな題材と女性の曲線美、そして白磁との対比が見事な絵付などが特徴的です。(品番:73315/900100、高さ:25.3cm)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人形「扇をもつ婦人」

人形「扇をもつ婦人」
原型は1930年、パウル・ショイリッヒによって作られました。ショイリッヒの作品の中でも最も美しいラインを持つといわれています。1937年のパリ万国博覧会でグランプリを受賞。(品番:73322/900500、高さ:約47㎝)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人形「誘拐」

人形「誘拐」
パウル・ショイリッヒの傑作の一つです。優雅な男女の姿と、様式的に表現された馬が見所です。1937年のパリ万国博覧会でグランプリを受賞。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
時計

 
時計
パウル・ショイリッヒが1918年に原型を作りました。男の子と女の子、二人のプットーが時計を持ち上げています。二人はこの大きな丸い時計を所定の位置に保つのに全身の力を使っています。二人の顔はお互いにとても似ていて、性差は見ただけではわかりません。クッションの上の足の組み方の違いが、この彫像のシンメトリーによる緊張を緩和しています。(品番:60830/900500、高さ : 約35cm)
ヘンチェルの人形「子供シリーズ」

ヘンチェルの人形「子供シリーズ」
原型は1900年の初めに、ユリウス・コンラート・ヘンチェルが生み出しました。
上:人形「犬と眠る子供」、大きな犬にもたれかかり、すやすやと眠る子供の姿が微笑みを誘います。(品番:73368/900300、高さ:8cm)
左:人形「棒遊びをする子供」、楽しそうに棒遊びをする子供。はずむ心が伝わってきます。(品番:73365/900100、高さ:18.5cm)
中:人形「人形を持つ少女」、あどけない表情や自然な姿態が大きな魅力となっています。(品番:73375/900100、高さ:16.5cm)
右:人形「木馬に乗る子供」、新聞紙で作った帽子を被り、木馬にまたがって無心に遊ぶ子供の姿が愛らしいです。(品番:73366/900100、高さ:17cm)
この他、「犬を見つめる子供」「子牛と子供」「人形と遊ぶ子供」「本を読む女の子」「絵本を見る子供」「ミルクを飲む子供」などたくさんの種類があります。
 
*マイセンの製品は、全国主要百貨店 でお求めいただけます。


*マイセンの製品は、マイセンオンラインショップ や、アマゾン「MEISSEN MANUFACTORY SINCE 1710 」
楽天市場「マイセン磁器日本総代理店」 、または、マイセン リーガロイヤルショップ全国主要百貨店 でお求めいただけます。





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